農園概要

竹岡農園ロゴ黒

株式会社 竹岡農園

〒669-3131
兵庫県丹波市山南町谷川2787-1

農園定休日:月曜日
里山ようちえん定休日:土日

事業案内

・無農薬、無化学肥料(もしくは自然栽培)野菜の生産販売
・野菜セットの直送事業
・農家民宿 花乃家
・酵素風呂 糠天国
・里山レストラン
・里山ようちえん ふえっこ(関連事業体 NPO法人丹のたね事業)

・その他、各種イベント

※竹岡農園は完全ご予約制で商品販売、サービス事業を行っております。
事前にお電話やメールなどでご連絡頂いてからお越し下さいますようよろしくお願い致します。

竹岡農園の地図

竹岡農園の農業とは、

我々が実施している農業は、自然の生態系を崩さない、また崩れてしまった生態系バランスを復活させるような循環農業を目指しています。

貨幣経済をどんどん活性化する産業としての農業ではなく、自立的で他の生態系に迷惑をかけることのない調和的選択をすることで、互いを搾取したり、汚染したりすることのない、また経済的にも成り立つ仕組みを作ってきています。
また、多様性・生産性を豊かにしていくことで自然環境を良くすることは、人間の生活の質、特に精神的な充足感を豊かにしていくことだ信じています。

「循環」

「自然との調和」

「コミュニティの活性化」

「中山間の農業モデル」

竹岡農園の事業主紹介

竹岡正行
略歴
神戸市生まれ
大阪教育大学 人間科学・発達人間福祉学部 卒業
→在学期間中、脳性まひの方の24時間の在宅介護活動に参加。
→差別により家から出られない状況の障がい者宅への在宅訪問活動。
障がい者、またそれを取り巻く社会課題に直面し、農を中心とした暮らしやコミュニティの在り方に活路を見出せると思い、農業を仕事に。

大学卒業と同時に栃木の無農薬栽培の野菜農家へ半年間の研修に行く
2010年 地元兵庫に帰り、丹波市の笛路村で独立
     竹岡農園 設立
     無農薬・無化学肥料栽培の野菜の生産・販売事業を開始

2014年 NPO法人 丹のたね設立
     当初、障がいを持った子どもたちと畑で農作業をしたり、キャンプをするイベント事業を起こす。

2015年 酵素温熱風呂 開設
2016年 里山ようちえん ふえっこ親子クラス 開設
2017年 農家民宿 花乃家 開設

2018年 竹岡農園を法人化
     里山レストラン 開設
2019年 里山ようちえん ふえっこ幼児クラス 開設

①大学生の頃に、脳性麻痺者の在宅介護に入ることで人生の転換期を迎える

 寝たきり車いすで、左手の薬指一本だけ自分の意志で動かせる重度の身体障がい者の24時間生活介護に入らせて頂く。
 介護ヘルパーでも難しい重度の生活介護を、資格も経験もない、若干20歳前後の素人学生に自分の命を預けて365日生活していた現場は、当時の自分にとって非常にリアルであったと同時に、それまでの学校生活で培った力では全く通用しない世界を知る。
障がい当事者に、介護で言われた印象的な言葉(→聞いた当時の自分の脳内)
「介護に入れ。後悔させへんで」 →どうゆうこと?
「健常者が介護するのは当たり前や」 →これを介護されている障がい者が主張するのがすごい。
「健常者ペースの介護をするな」 →障がい当事者の息づかいを感じろ、ということなんだけど…まぁ、余裕ないしわからないですよね。
「僕にとって、大便は労働や」 →かっこいい…
「人間関係で一番大事なのは、継続すること。繋がり続けること」 →介護を通して人と深く繋がり続けた当事者だから言える言葉の重みすごい。
「障がい者にとって生きやすい社会は、健常者にとっても生きやすい」 →なるほどなぁ
「身体的介護と、精神的介護」 →自分はどちらかというと身体介護担当でした。
「自分の産まれ育った地域で死にたい」 →当たり前にできることが、あたりまえではない状況の人が居る。

6年間の在宅介護と、5年間の在宅訪問活動(家族以外の人間関係を持てない障がい者宅へ訪問、関係づくりをする活動)を通して、
「社会的弱者が生きやすい地域社会が我々健常者にとっても生きやすい」の言葉を胸に、自分の社会的役割を追求した生き方を目指す。

在宅介護に入っていた障がい者は、身体障害を持ち言語障害もある中、ご自身の感性だけで他人と向き合い、勝負して生きていた。そのライフスタイルから鍛え上げられた体感は、当時自分の能力で物事を乗り切ろうとする自分の考え方をことごとく失墜させ、叶わないなと思わされることがしばしばあった。
本人の言葉通り「障がいを武器」にして、介護者を育て、コミュニティを形成し、障がい者が地域で生きていくモデルケースとなっておられました。

当時、すごいなと思う反面、差別や過去の出来事を決して忘れてはならないという姿勢には側で介護をさせて頂いていて、悲しくなることがあった。
差別という人間の嫌な面を見て、つらい思いもたくさんしてきたからこそ、今の当事者の感性がある。決して差別が良いことではないけれど、つらい差別を受けてきたからこそ当事者の感性や優しさ、人を見抜く力が備わったのではないか、障がいを武器にすることが出来たのではないか。
差別をする側、される側とした立場の一線を越えてはならないという徹底したライフスタイルの中で、後程出てくる丹波の黒豆との出会いがあります。
差別は人を傷つけることだが、全ては己に必要なことが今起きている、と自分の人生では考えようと思うようになりました。

介護に入って4年目に、父が建ててみたいと思って自分で建てたアトリエがある丹波・笛路村と出会う。
笛路村で最初にお世話になった田中さんの黒豆を分けて頂き、介護現場で黒豆を食べると、そこに居た全員が笑顔になり、立場や主張を超えて通じ合えた。
それまで一度も笑った顔を見たことのなかった先輩でさえも、竹岡さん美味しいですね、とこぼれるような笑顔だった。
「美味しい」を共有することはこんなにも幸せであるのだと思い、そこに反差別の運動体では突破できなかった壁を突破できるような気がした。

また、当時の社会的な認識が、障がい者=非生産者、健常者=生産者
であるならば、
当時の健常者にしか支えられない生産者=百姓になると決める

②新規就農者の間で、プリズンと噂される有機農家での研修

・研修先の農業規模は、当時野菜の畑だけで約7ha。東京に約150店舗のレストランと契約、週3回生産者自ら直送する野菜生産と配送サービスを兼ねた当時誰もやっていなかった事業スタイル。
・研修生の休みは無し。一日3時間寝れたら良い方で、農作業の繁忙と重なると36時間、48時間労働も普通に出てくる。半年の研修機関で、研修生全体で休みを正式にもらったのは半日だった。
・契約のお客様が来られたら畑作業を手伝って頂き、一緒に親睦を深めみんなで無農薬野菜を広めようという仲間意識が強かった。
・昔の軍隊スタイルで、心と身体をとことん鍛えて頂きました。
・開墾が当たり前。乗ったことのないトラクター、ユンボも見様見真似で使いながら慣れていく。
など、ここでは全て言えないようなことばかりが起こった半年でしたが、おかげで3年分くらいの経験をして、地元兵庫に帰ることができました。

研修を通して、
・何が起きても乗り越える(何とかする)しかないという意識
・自分たちで0から作るのが百姓
・人に対して絶対にしてはいけないことを教わる
・努力の仕方を考え直すきっかけになる

以上のことを学び、丹波の地で無農薬・無化学肥料の野菜生産事業を始めます。

③丹波の父の小屋を借り、独立

2010年 独立してまず野菜の発送事業を開始
2011年 障がい者と農作業をする「ナチュラルタイム」を開始

最初は、アルバイトをメインで副業として野菜生産をしていたが、初めて野菜を売ったお客様に「野菜のことは全て竹岡さんにお任せしている」と言われて、半分農業という形では申し訳ないという気持ちで、農業一本で生計を立てることを決める。

専業農家になる上で意識したのは以下の点。
・ランニングコストを徹底的に抑える
・開墾
・既存コミュニティとの共生

生産事業を開始すると、ほぼ同時に里山や田畑を人の居場所として提供する居場所事業を始める。(障がい者と農作業をするナチュラルタイム、里山の休耕田を開墾する物乞いキャンプなど)

その後、
生産事業は年々生産面積を拡大。初め1.5反だった管理農地は、笛路村で約2ha。現在は、笛路村の外で拠点を開墾している。
居場所事業は、現在NPOのメイン事業となっている里山ようちえんふえっこだけでなく、
障がい者と里山で遊ぶ「ナチュラルキャンプ」、
企業研修を受け入れる「里山研修」、
笛路村のロケーションと飲食店のコラボレーションイベント「里山企画」(里山フレンチ、里山牡丹、里山珈琲など)、
独立後5年間ほどお世話になった開墾イベント「物乞いキャンプ」、
など里山などの竹岡農園の管理地を主に使用した企画が年々増えている。