自然から頂く

自然とは何か。
2010年、兵庫県丹波市笛路村で竹岡農園を設立してからずっと、この大きなテーマと向き合ってきました。
里山に生息している草木を眺めていると、互いに譲り合い、補い合い、支えあい、そして次の豊かさのために死んでいく。

死とは、一つの役割の終焉であり、また次の環境や世界を豊かにしていく存在への移行です。
そうした意味で、自然における生き死にの循環は、自己犠牲ではなく、貢献の活動によって絶えず変化を受け入れ、その美しさを維持しているように思います。

自然栽培 :無農薬・無化学肥料の露地栽培

竹岡農園の農業、もしくは「農」の活動をご案内していく上で、栽培方法からお伝えするのが一番お伝えしやすいので、少し専門的な話も出てきて分かりにくいお話になるかと思いますが、お付き合いください。
無農薬の栽培のことをお話した上で、自分たちの目指す農の形について、現在行っている農以外の事業への発展、また今後どのような農であるべきなのか、という竹岡農園の在り方についてお伝えしていきます。

オーガニック、つまり農薬や化学肥料を使わないというのは2010年農園を設立してからずっと守り続けてきた栽培する上でのお約束です。
これは、理念でも記載の通り研修でお世話になった農家さんのこだわりであり、独立した当初は、無農薬栽培というものがよく分かっていなかったですし(研修では草刈、マルチの片づけがメインでそもそも栽培について全く関与させてもらえなかった)、研修先の野菜がとっても美味しく自分も同じルールでやろうと決めたくらいの気持ちでした。
無農薬・無化学肥料の自然栽培と書くと、病害虫のリスクを抱えて、農薬化学肥料を使用しなくてもお客様にご提供できる野菜を育てるだけの技術を磨いて、こだわっているという風なイメージになるかもしれません。

確かに、ここ最近の不安定な気候は作物に大きなダメージを与えます。
この文章を書いている年でも梅雨入りがこれまでと比べると異様に早く、それによって玉ねぎに病気が発生、晴れてきて何とか持ち直し始めましたが、一番大事な時期に病気にかかったため半分以上がそのままでは販売できなくなりました。
また、農薬を使用しないと病気以外にも害虫という大きなリスクが存在します。
これも気候の変動と繋がっていて、温度や湿度などで発生時期も変わってくるのです。
近年、日本以外でもバッタやセミなどの大量発生のニュースが聞かれますが、そこまで極端ではなくても毎年なにがしかの害虫・益虫が多いようにも感じています。

簡単に言えば以上のような理由で、農薬、また化学肥料(人間でいうところの栄養ドリンクのようなもの)を使用せず自然の厳しい環境下で野菜のクオリティを上げていくというのは非常に大きな課題です。
そのため、オーガニックの付加価値を提唱する農家は往々にして施設(ビニールハウスなど)を使います。
天候の被害、特に大雨や風などの異常なストレス(適度なストレスであれば健康な野菜は耐えられます)を避けるために施設栽培の方が人為的なコントロールがききやすいのです。

ハウスなどの施設内でボイラーやストーブを炊いたり、紫外線カットの不織布などを用いて、管理をし、より安定した作物を市場に出す。
これが近代農業が具現化した人間にとって美味しく食べやすい野菜を安定供給するシステムです。
人為的なコントロールがききやすいので、より味を良くしたり技術も分かりやすく伸びました。
これには農家の非常な努力と、懸命な苦労があります。
しかし、このやり方は本当に農家を、また社会を豊かにしたのでしょうか。

朝早くから管理作業に追われ、日が沈むまで何度も何度も同じ畑で作物の手入れをする。
それは竹岡農園も通ってきた道なので、何も悪いことだとは思いません。
誤解を与えるようですが、施設栽培を批判しているわけではありません。
ビニールハウスを利用することで、一つの圃場の管理が行き届き、健康な作物を実らせ、人を喜ばせられるのだからもちろん選択肢の一つであっていいと思います。
栽培方法どうのこうのを言いたいわけではなく、もっと全体的なことなのです。
このビニールハウス自体はどこからきたのでしょう。
ビニールハウスを代表する施設栽培の施設を構成する資材を、生産地の地元の人間が作り出せるのであれば持続可能ですが、ほとんどは外部企業と外部資材に頼らざるを得ないのではないでしょうか。
いや、もちろんこの世にはすごい人はたくさんいるため中にはビニールでさえ自社生産可能な農家がいるかのしれませんが、少なくとも丹波の農家では一人も居ないため非常に稀な存在だと言えるでしょうし、実際農家は農業生産をしていてビニールを作っている時間もないと思います。

この外部に頼らざるを得なくて、依存しているというところに大きな課題があると考えています。
例えば、コスト。
ビニールハウスの生産コストは自分たちで値決めできません。
経済圏のあらゆる状況によって昨日まで10円だった部品が今日は100円になることもあり得るのです。
ガソリンがそうであったように、農業生産に欠かせない資材が外部の資源に頼ると生産原価が非常に不安定になりますし、仮に生産原価が上がった場合野菜の値段自体も大きく上がってしまいます。

つまり、結局はお客様に大きな負担をお願いしないといけなくなり、それを提供する農家も付加価値を上げなくてはいけなくなるので、設定した価格に納得して頂けるよう説得したり、お客様の気持ちを誘導したりするビジネス的な技術を磨くのに時間を使わなくてはなりません。
商品化してお金を頂くにはそれが当たり前のように思われている方が非常に多く、例外なく農業従事者、新規就農者も価格競争に巻き込まれないようにそうしたマーケティングを考えるのに膨大な時間を費やしています。

しかし、そうしたことで農産物が売れていって、お金を稼いで、稼いだお金でまた値上がりした種や高級資材を買い、機械を買い、従業員を雇い、時間を買って、さらにその支払いのためにものを売って、また稼いで…
これでは農業をしても疲弊し、ゆとりを無くしていく。
そうしたサイクルに入ってしまう農家をたくさん見てきました。

そうした経済主義の循環が、我々人間が生きていく上で本当に大切な目的なのでしょうか。
もちろん経済主義が悪いとはひとつも思いません。
我々の世代は皆その経済主義の恩恵を受けて大きくなってこられたのだから、感謝もしています。
ただ、それが行き過ぎると、経済しか見えず縛られて、自由を無くし、自分たちが生きるということすら実感できないようになってしまっているように感じるのです。

こだわる部分を間違えない

竹岡農園を始めたきっかけは、学生の頃笛路村の農家さんから頂いた黒枝豆を周りの人たちと食べて、みんなが笑顔になった経験があったからです。(詳しくは「理念」のページ中盤に記載してあります)
美味しい自然な野菜は人を幸せにするのだ、と感じました。
研修に行った栃木県の無農薬・無化学肥料栽培農家で食べた野菜たちがどれも規格外に美味しくて、無農薬ってすごいんだと思って、自分も独立してからその道を進んでいます。

でも独立して、お客様にご提供し始めてから2,3年経った頃、「美味しくないとダメだ」と思うようになってしまいました。
それは、”無農薬で無化学肥料の自然な野菜が美味しい”とお伝えした結果、美味しい味を求める飲食店さん、一般消費者さんの期待と、自分が提供したい自然な野菜とのミスマッチでした。
もちろん、一度購入して頂いた野菜がとても美味しかったから、色々とご意見を頂くお付き合いが始まったのですが、畑は常に最高の状態の野菜を育てられるわけではありません。
栽培経験の無い素人からスタートして、農園が法人化されてからも「思い」や「可能性が広がる方」を採用しているため栽培ができるレベルの高い百姓を雇用しているわけでもないですし、特に露地栽培では、天気や、気候によっては成長しすぎて味がぼけたり、逆に締まったり、熱を加えて非常に甘くなったり、苦みが出たりするものなのです。
そうした自然の環境下で育つ野菜の味のブレが、今では露地野菜の魅力だと考えているわけですが、当時はそう思えませんでした。
「美味しくないといけない」、「美味しい野菜でないと売れない」と言った勝手な思い込みで自分にプレッシャーをかけて、自分が本当にお客様にご提供したい自然な野菜を追求できなくなっていきました。

お客様は竹岡農園のことを思って、他(他の農家さん、スーパー、八百屋さんの野菜)と比べて美味しい、美味しくない、自分の知っている中で最高の状態ではない、などのレスポンスをくださり、我々はもっと安定的に美味しいものを育てないといけない、もっと良い状態で出さないといけない、と野菜という生き物の感動ではなく、お客様に買って頂くための努力を始めてしまったのです。

結果、もっと良くなるために間違い探しを始め、高級な資材に手を出したり、より効率的な機械を購入したり、そのために借金をしたり、目の前のお客さまの反応に敏感になりすぎて、疲弊し、自分自身が栽培することが楽しくなくなってきました。

農業を始めたきっかけは、周りの人が笑顔になり、幸せになってくれたから、だったのですが、自分自身がだんだんと苦しくなって、いつの間にか周りの人の笑顔を奪っていくような農業になっていました。
そして、その根底にあるのが「美味しいものを作らなければならない」という、自分のエゴです。一般的に美味しいと言わせないと野菜が買ってもらえず、買ってもらえない野菜は美味しさが足りないとか、価値が無いという自分が勝手に作り上げた誤った価値観だったのです。
農業を始めたときに自分を満たしていた価値観と、仕事にして外から植えつけられた価値観との間で葛藤しているときに、嫁と出会いました。

当時、移住希望だった嫁は自分がお客様に出すには微妙だなと思っているような状態の野菜も、めちゃくちゃ美味しいと食べて喜んでいました。
収穫が遅れたもの、逆に早く収穫しすぎた幼いもの、害虫に食われすぎて味を吸われたようなもの、いろんな規格外品と呼ばれる商品にできない野菜たちを料理してくれ、どれも美味しいと感動してくれました。
そして、気づいたのです。
それまで味が無いとか、美味しくないとか評価していた状態の野菜も、嫁と一緒に食べていると、どれもすごく美味しかったのです。
美味しいとは味のことだけではなく、「美味しい」という体験があったのです。
自分が探求していたことが、多くの人の美味しいという評価ではなく、自然な野菜を食べることを通して人と人とが繋がる体験なのだということを思わせられました。

自然な野菜には甘いもの、旨いものばかりではありません。
時には苦いもの、渋いもの、色んな味があります。
そういう自然界の本物の味を通して、隣の人と共感し繋がる体験を竹岡農園の「農」は強く意識すると同時に、それこそが生きる「喜び」の体験であると考えています。

あるとき、当農園で運営している酵素風呂の開発者の竹内忠司さんとお話していて、
「普通の百姓は野菜を育てる、優秀な百姓は土を育てる、でもその上があるんや。なんか分かるか?」
「…」
「一番優秀な百姓は人を育てるんや。」

この言葉を聞いて、自分がやっていくべき農の道での迷いが消えました。
我々の行っている農業は売るための野菜を育てるという発想の産業ではなく、暮らしに基づいた取り組みなのだという意味を込めて農業ではなく、「農」と言うようになったのです。

しかし、現代社会は貨幣経済で回っています。なので、お金ともしっかり向き合って、売り上げもなければ農園も継続できません。
そうした意味では、会社である農園を継続していけるよう毎年真剣に経営状況のことはミーティングを重ねています。
地元の農業大学、新規就農者にも口酸っぱくお伝えしていますが、小さな企業、個人事業主こそ経営のことをしっかりやらないといけないと思っています。

理念が純粋であればあるほど、その理念を大切にするために現実的な課題は真剣に向き合わなくてはなりません。
道徳なき経済は犯罪であり、経済なき道徳は寝言である(二宮尊徳)】の通り、現実とは理念を磨き、理念は現実の厳しさによってさらに高みに上がるのです。

農から始まるすべての循環型事業へ

我々がイメージする農とは「循環」のことです。
自然な野菜、食、さらには我々が耕している畑の自然環境を通して社会循環、価値創造を行っていくことで、生産した自然な野菜はエネルギーを人々に与え、そのエネルギーの根源となる土のお世話をすることでより人間は豊かな感性と視野を取り戻して、明るく生きていけるのではないか、というイメージです。

現代の暮らしは全てが分断されています。
部屋は区切られ、職は分業化し効率性を高め、生産ひとつでも種屋、苗屋、農家、八百屋(バイヤー)・飲食店、消費者など生産性を高めるために分かれています。
農業でも本質は全て野菜、土というところで繋がっているのに、仕組みが繋がっていないため部署部署で専門性を磨かなければならず、シンプルで普遍的な一貫性のある繋がりが断たれているように感じるのは我々だけでしょうか。

20歳の学生だった頃、丹波の黒豆と出会い、美味しい食べ物は立場や価値観を越えていく経験をして、農業しかないと思って移住してきました。
本物の美味しい食材を通して、人と人が純粋に繋がれる体験をたくさんさせて頂いて、もっと美味しい野菜を育てようと夢中になって畑に出ていました。
そして、自社圃場でのイベントを繰り返す中であるときはたと気づきました。美味しい野菜は立場・価値観を越えていくけど、農園にただ集まった人たちもリラックスして、立場を越えて打ち解け合えるんだと。
畑、作物、山や川などの自然の中にいると、本来の人間の心を取り戻して元気になっていくことに気づきました。

障がいを持った方から、年配の方、お子さん、肉体的・精神的な病気の方、色々な立場・境遇の方が来られてたくさんの笑顔を見せて頂きました。
そうか、立場・価値観を越えて人が繋がりあうのに、一番大切なことは自然に触れることなんだと。
私たちも自然体な人と出会うとこちらの心が解放されます。 大切なことは、「自然」であることだと思いました。

農業も、自然の営みに、我々人間の営みを沿わすことを最優先に考えて行っています。
我々人間が食べ物で頂く野菜たちでさえ自然の循環の中では1つのプロセスであり、その後にはこれまでの生育してきた情報が詰まった種が出来、土に落ち、また適期に発芽して次世代によりより遺伝子を残すという目的があります。
自然が目的としていることは奥深く、スケールが大きく、人間の考え及ぶところではないかもしれませんが、そうした大きな存在と向き合い、我々が生きていくための生産活動を行っていくことが竹岡農園の農業だと考えています。

オーガニック野菜の生産、販売について

 我々の行っている野菜生産は、自然をより良く循環させる目的で栽培をしています。自然の循環やサイクルを出来るだけ乱さず、より良くなるようにお手伝いすると言っても、その方法は膨大な選択肢があり、地域や気候によって何がその土地の自然にとって良いのか、根付くやり方なのか一つ一つ検証していくことは非常に地道な作業です。ましてや自然の循環にとって最適な栽培方法など一生かけても辿りつかないかもしれません。しかし、その最高、最適を目指して百姓をしているのであり、販売させて頂いている野菜は、試行錯誤してきた今の結果です。
 我々は完成しない最高の野菜を目指して日々精進しているのであり、こだわりを求めて来られるお客様には本当に申し訳ないのですが、これが最高の野菜だとは自信を持ってお渡しすることはいつまで経っても出来ないと思います。

 それでも、そうした姿勢で土と向き合ってきた経験と出来上がった野菜を販売してお客様に百姓道についてお伝えすることはできます。自分たちの生き方、在り方をお伝えするための野菜という商品にはなりますが、見て、触って、召し上がって頂き「何か」感じるものがあれば、我々百姓も日々の苦労が報われます。

自然栽培、丹波コシヒカリの販売について

 農薬や化学肥料など不自然な資材を使わず、出来るだけ自然のサイクルでより良い作物を育てたい、そんな思いで生産活動をして数年経ったころ農業仲間に一人のお百姓さんを紹介して頂きました。
 同じ丹波のお百姓さんで、農薬、化学肥料はもちろん有機肥料さえ使わずお米を生産されている方でした。ヘアリーベッチという植物を田んぼで生産し、緑肥として土の知力を上げて栽培されるお米は、頂く度に感動とその時々で自然や土からのメッセージを感じます。

 お米に関しては我々も、自家用として手作業で自然栽培のコシヒカリを生産していたのですが、販売するには収穫量が少なく難しいところがあり、この度その百姓さんのお米を竹岡農園のサイトで販売させて頂くことになりました。
 この仕事を始めて以降様々なお米を食べさせて頂き、どのお米も美味しいお米でしたが、その中でも我々が目指している「自然な米」の見本となるような商品です。我々の野菜を食べて頂ける場所で、是非ご一緒していただきたいお米です。

農家が直接お届けする農家直送便 について。

 朝採れ野菜をその日のうちにお届けする農家直送便。毎月第二・四水曜日の西宮便に加え、国道175号沿い神戸市西区、明石、三木への直送便を2021年春から開始します。
 

竹岡農園の日常風景