ふえっこ

あそびが人間を育てる
子どもの頃は、友だちと遊んでいると時間を忘れていつの間にか日が暮れていました。
遊びに目的はありません。
遊びたいから遊ぶ。
しかし、この遊び自体に大きく人を育てる力があるように思います。
里山ようちえんの子どもたちを預かるようになり、彼らを見ていると何も遊び道具がなくても自分たちで遊びを創造します。
そして、自分より年齢が小さいお子さんが居て、同じように遊べない場合はその問題を発見・解決して、また遊びに没頭しています。
里山の地の利を生かした共育
2016年里山ようちえんふえっこ親子クラスが設立されてから、農園で生産している田んぼや畑、笛路村が管理する里山で子どもの遊ぶ声、お母さんたちの楽しそうな笑い声が響いています。
畑をしていると、子どもたちが「何をしてるんー?」と話しかけてきて、季節の野菜の話や土づくり、機械の使い方などを説明したら、年々よく理解していることが分かります。
我々の行っている子育て事業は全て農業のフィールドを活用しているため、暮らしや仕事と密接にかかわりながら子どもたちが楽しさを追求し、育っていく姿を魅せてくれています。
丹波や付近の地域で生まれた子どもたちが、地域で育って、地域で貢献しながら家庭を築き、また次の世代へバトンを渡していく
田舎の教育機関は子どもたちの人数が減っていくにつれて、統廃合を積極的に行っています。
生徒の人数が少ないので、一人あたりの教育コストがかかるのです。
このまま人口が減り続け、子どもの数が減り続けたら、その地区に学校が無くなることは必然なのです。
そうした状況の中、既存の教育機関だけでなく地域社会の中で多様な価値観、考え方で子どもたちが集まる場所や、コミュニティを昔の寺子屋のように小さいサイズで運営できる資源を育てていくことが田舎にとってとても大切なことだと思っています。
既存の教育機関だけを良いとする、またその考え方で縛るのではなく、実際の社会情勢に合った子育て環境を追求する機会やチャンスを民間や、地域社会と協力して作っていくことで、人口の少ない田舎の生き残る道が開かれていきますし、それが魅力に見える都市部からの移動でより多様な子育て環境が生まれると考えます。
自然界という本物との出会い
他の動物と比べて、人間だけが社会へ出るための準備期間として非常に長い期間、学校の中で学習をさせたり、訓練したりしています。
日本では義務教育が終わるのに短くて15年、長いとその後も高校、大学へ進学し20年以上も実際の社会から隔絶されている状況にあります。
学生当事者たちが学びたいこと、やりたいことや将来の目標などもいまいちピンとこない状況下でただ受験へ向かった勉強をしていくことが本当に子どもたちのためと言えるのか、疑問が多いです。
しかも、その教育環境は同世代の中で能力評価をし、同世代の中で友だちを作ると言った非常に偏った環境にあることが社会へ出るための準備期間としつつ、どんどん実社会へ出にくい状況を作っているように思います。
我々大人も、これまで受けてきた教育環境以外に、一般的に他に選択肢もありませんでしたし、そうやって国民が一様に同じ選択肢の中で切磋琢磨し、将来一般的な”幸せ”を掴めると思っていました。
それが、です。
ここ10年、いやもっと以前から経済格差は生まれ、社会の秩序のようなものは行き過ぎて隣人と衝突し、お金があっても無くても幸せな人はとても幸せそうだし、その幸せを築くための努力ができる人とできない人は、きちんと学校に行って、努力し学歴などを高めているかどうかなどあんまり関係ないと言ったデータまで出てきている昨今です。
里山ようちえんを2018年から設立してから、入園した子どもたちはとても大きな可能性を我々に見せてくれました。
3歳で入園してお兄ちゃん、お姉ちゃんについて遊ぶだけだった子どもたちも5歳くらいになると、自分の心の中で起こっていることの豊かな表現方法、友だちへの思いやりや安心できる距離感、大人たちとの信頼関係、そして何より自分が今何を感じて何をしたいのか、はっきり認識しているということです。
人間以外の自然界の生き物は生まれたときから、誰に教わるでもなく自分で立ち、数時間後には立派な個体として命を全うすることを知っています。
なぜ人間だけがこんなに長い期間縛りの強い教育が必要なのでしょうか。
誰かに教わるではなく、自ら考え行動し、自分の人生を切り開く逞しい子どもたちが育つためにどんな環境が必要なのか、それを既存の学校だけにお任せするのではなく、地域社会として次世代を育てていく資源を育み、努力をしていきたいと考えています。