竹岡農園で働きたい仲間のために、農園を法人化して第3期の決算が終わり、早4年目。
設立して事業化してからは、11年が経ちました。
設立当初は、お金は無い、技術・経験は無い、しかも車の免許も取り消されて無くなってしまって、自転車一つで竹岡農園を始めたので、周りからはいつまで続くのやら…と心配されていたのが懐かしい。
お客様が全然居なかった時期も長く、3年くらいは笛路村の田中さんに食事を提供して頂き、その分物乞いキャンパーと休耕田を開拓し景観を復帰する激しい「遊び」をしていたのも、昨日のことのように思います。
実に色んな経験をさせてもらって、今ではそのすべてが自分の視野を広げ、今に繋がっていると思います。
また1年様々な経験をさせてもらって、自然界の導きに感謝しています。
この1年は、やはりコロナの影響を大きく受けました。
農業生産がメインではありますが、民宿や酵素風呂など現地体験の売り上げも大きく、人の行き来が難しい状況下では経営的に強烈でした。
国の給付金などで何とか持ちこたえ、時間の猶予が出来たのでそもそも竹岡農園ってどんな場所だったっけ?って改めて考えられたのは大きな成果だった。
そもそも、自分は、農村や田舎でのびのびと「遊び」たいだけなのだ。
都会の良さ、田舎の良さは両方共にあって、どちらが良い悪いとかはない。
だけど、都会って稼ぐには効率的だけど、暮らすには人が多くて窮屈だし、やろうとしたことは色々と気を遣わないといけないから自由な発想で「遊ぶ」には、隙間だらけの田舎がやりやすい。
笛路村という場所は、小さな畑や田んぼがたくさんで、おまけに年間の日照日数も少なく、夜間は大きく気温が下がる。
普通に農業をやっても草刈面積が多くて、生産性が低い。
その中で、さらに無農薬・無化学肥料の栽培というリスクが高くて、生産量を求めない農業を実践している。
要するに、笛路での農業を一般的な「仕事」の基準の貨幣価値まで高めていくには非常にハードルが高い地の利なのだ。
みたいな設定ですら、「仕事」だと疲弊するが、「遊び」と考えたらまぁまぁ楽しめるわけなのです。
誤解を受ける言い方をたくさんするけど、これが真面目に「仕事」と考えてやったら、発展しないし、続かない。
まぁ、続く人は居るんだろうけど、少なくとも竹岡農園の人間は厳しいよねって個人的には思ってる。
農業だけじゃない、おそらくどんな仕事も、一般的な基準のようなものがあって、その基準に当てはまらないような地の利や条件であれば、同じ成果は得られにくい。
だから、既成概念から外れて、全く違う価値観で勝負していくしかないのだ。
コロナは一般的な価値観や基準が大きく変わる転換期だ。
今、一般的な価値観から大きく外れてる奴らばっかりが、竹岡農園には集まってきている。
だから、一緒に「遊ぶ」のが本当に楽しい。
最近では、利用料の安い体育館を借りてバドミントンをしたり、出かけたり、仕事の最中も「遊び」の話ばかりになりつつある。
もちろん、その真剣な「遊び」の話の中に、農業や他の農園の業務の話も入るのだけど。
今年に入り、コロナ前の元の売り上げに戻ってきていますが、これがもっと加速して行ったら、結果的に会社の収益性も上がるのだろうか、という実験をしているところです。
業務としての「仕事」をする。から、価値を創造する「遊び」へ思いっきり熱中できる環境を整えたい。
そうやって、やりすぎる人が続出して、
「あんまり頑張るなよ」「ぼちぼち終わろうぜ」って、みんなが言える会社になっていきたいな。
昔からそうだけど、「頑張ってる」って言葉や評価に少しの価値も見いだせない。
何故なのか、10年農園を継続してきてなんとなく言葉にできる気がする。
頑張るとか、気合い、なんて言葉は普通なんだ。
そして、「頑張ってる」という評価をもらうために頑張る人がいるけど、それは何も自分たちの価値を証明したことにはならない。
そもそも「遊ぶ」モチベーションが高いとめちゃくちゃ動くわけで、それを見て「頑張ってる」ように見えるのだろう。
仮に、「頑張ってる」という評価を得られなかったとして何も問題はないと思う。
頑張らなくても最低限、幸せにはなれる。
これは自分が丹波に来てからの人生で証明されている。
そして、この最低でも幸せにはなれるってことを知っていると、どこに行っても楽しく人生が歩めるのではないか。
今年も思いっきり田舎で遊ぼう。