丹波 Life

郁子 もうすぐ母になります。

もうすぐ母になります。

2021年初の大きな出来事。
もうすぐ出産です。
お腹の中で元気に動き回ってる赤子に、もうすぐ会える。
ドキドキ、ワクワクと同時に、ここまでのことをしっかり見つめ直して、お産に向かいたいと思ったので、今までの経緯、自分のこと、色んな思いを記録として書き留めておきます✏️(長文です)

結婚して7年、不妊治療に取り組み始めて2年半、ここまで本当に色んなことがあった。
結婚して2年目に、ようちえんを始めて、ここで沢山のお母さんと子どもたちとの出会いがあって、子どもたちの成長を見守れて、お母さんたちと一緒に喜べて、里山でのびのび育っていく子どもたちを見れて、本当に嬉しかった。
自分の仕事も誇らしく思ってた。

でも、どうして私には子どもを産んで育てるという希望が叶わないんだろう、ってずっとずっとどこかで思ってた。
こんなに子どもが好きなのに。一人目、二人目、三人目、、と妊娠して出産していく同世代の友人たち、お母さんたちを、すごいなぁと思うと同時に、羨ましくて、ずっと心の葛藤があった。

結婚5年目に、「授からないのであれば、ここに来てくれた子どもたちの成長のお手伝いをして、私は産むのを諦める。
子どもは養子縁組を考えよう」と決意し、主人に話したところ、「ここで自分の子を産んで育てるのが郁子の夢だったんじゃないの」と言われ、そもそも私は、田舎にきて、自分の子を産んで育てたい、と主人に出会った時から(約8年前から)話をしていて、自宅出産、自然分娩に強い憧れを持っていた。
そんなことも忘れていて、なげやりになってしまった私だった。そんな私とどうにかこうにか話をして、主人が治療に踏み切ってくれた。

不妊治療は主人の手術に始まり、全身麻酔で死んだような姿になり、(ほんとにこわかった(-_-;))
色んな病院に行って話を聞き、検査を受けて、人工受精までやってみた。(そこに至るまでお世話になった病院は7件、約2年半くらいかな。。)できることを可能な限り時間を作って一緒に取り組んでくれていた主人に対して、私は思い通りの結果にならないことに落胆して、前向きになれず、苦しい日々だった。
でも毎日仕事はあるし、子どもたちはやってくるし、ここでお客様とは出会うし、お迎えしたいし、自分の悲しい気持ちに浸っている暇はなかった。

この日々がなかったら、もっと落ち込んで、塞ぎこんでいたかもしれない。
次の治療に進むかどうか、、なんとなく今じゃないなぁ、やめておこう。
とりあえず、今の置かれてる立場を大事に頑張ってみよう。
赤ちゃんはもういいや必死になるのやめよういつかまたタイミングがきたら、、、、って諦めたら

「コウノトリを笛路で見たよ」
「奥さん妊娠します」
なんて7年目の結婚記念日に言われて、挙げ句の果てにはたまたま行った海に建っていた石碑の名前は「誕生の浦」全部が半信半疑。
いやいや、とりあえず妊娠諦めたし、期待したらあかん。仕事がんばるし。
なんて思ってたら、、この時既に妊娠1ヶ月目。そしてちょうど2ヶ月目に、検査してみたら陽性。

信じられなかった。泣いて、喜んだ。(冷静な人は隣にいたけど。)
あの時の気持ちは一生忘れないと思う。
妊娠してからは、つわりと体調の変化に、仕事は休みがちになり、家事はほとんどできなくなり、色んな人に支えてもらった。
たくさん迷惑もかけた。

私の妊娠を心から祝って、泣いて一緒に喜んでくれた人もたくさんいた。
「自分のことのように嬉しい」そう言ってくれた友人もいた。
私の立場を想うと、言葉にできない思いを持ってくれていた人たちがたくさん居たことに気づいた。嬉しかった。
そして、知り合いづてに教えてもらった、しまざき助産院のしまざき先生と出会い、そこで検診もお産もみてもらうことに決めた。

「竹岡さん健康そうやからいいよ」って受け入れてくれたしまざき先生。
今までかかっていた産婦人科の妊婦や赤ちゃんとの向き合い方、検診の違いに、びっくりして、今までの検診や現代のお産の在りかたに色んな疑問を感じた。
しまざき先生の検診は、毎回丁寧な体調のヒアリング、エコー、身体のマッサージ、お灸、足湯、、妊婦に至れり尽くせりの対応で、先生から色んなお産の話を聞かせてもらった。

赤子に会える検診が先生のおかげで楽しみで仕方なかった。
お産に対して不安が和らぐ中、今度は母になれるのかという不安が沸いてきて(不安をみつけるのが好きなようでした私。笑)
不安や不満を主人にまたまたぶつけはじめる。
今まで沢山の子どもたち、お母さんを見てきただけに、自分の中の子育てのイメージ、ちゃんとしなきゃ、間違ってはいけない、みたいことを自分に課せて、人から子育て心配ないね、いくちゃんに育てられて幸せやねなんて言われる度に勝手にプレッシャーになって、そのことを抱えきれなくなる。

お母さんになるのやめたい、私には無理やあんなに母になることを切望していたのに、今度は自分にかけたプレッシャーで、私のところに来てくれて、産まれたいとしてくれてる赤ちゃんに、酷いことを思ってた。
ありえない。なにやってるんやろ。
そもそもこの子はそんなきっちりしたお母さんを望んでるんだろうか。
きっちりしたお母さんってなんや。
完璧に子育てしなあかんなんて誰が私に言ったんや。。。
そんなん誰も言ってないよな。そもそもなれるわけないし、そんな人に。
うん。私にはできない!ということに気付き始めると、少しずつ楽になって、できることを夫婦でやっていこう、周りの人たちに助けてもらおう。と思えるようになって、肩の力が抜けていった。

今までの期待と不安と喜びと、色んな思いがあって、ようやく迎えたお正月とともに、予定日まであと20日。
検診の度に、「いいお腹してるよ」「羊水キレイです」「赤ちゃん余裕やね」と、とにかく誉められて、元気にしてるのを見せてもらい、赤子には何も心配ない。
ここにくるまでの長い時間を思うと、我が子に会えたらきっと色んなことが吹き飛んでいくんやろうなぁと思ったりする。
どんなお産になるかわからないけど、楽しみで仕方ない。
そして、自分が立ち上げたようちえんをしばらく休むということに理解して支えてくれたスタッフ、保護者の方たち、私が抜けることになったら、一人、二人、と「ようちえんを手伝いたい」仲間が集まり、万全の体制を整えてもらって産休に入ることになった。こんなこと、本当に想像もしてなかったし、ありえないと思ってた。

でもこうやって、全力で周りがこの子の誕生にサポートしてくれている。
本当に本当にありがたい。だから、私も全力でお産に向き合おう。
ここまで、赤子はもちろん、色んな人が私の弱いところ、だめなところ、いいところ、たくさん教えてくれて、気づくきっかけを与えてくれて、何度も投げ出したくなったけど、「山より大きい獅子はでない」と昔の人は言われた通り、粘り強くそこに向き合ってみたら、色んなものが見えてきた。

一人では向き合えなかったことも、沢山の人が表で、影で、支えてくれた。
私を成長させてくれた全てのひとたちに感謝です。

本当にありがとうございます。
そして、ここからまた新しい一歩。2021年、竹岡家をどうぞよろしくお願いいたします。

昨年生まれてきた姪と2ショット。

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