丹波 Life

インターンが来た時。何かを「教える」より本人が何を「感じた」か。

おはようございます。
代表の竹岡です。
しっかり雨が降って、久々に2日ほど休ませて頂きました。
ずっとフル回転していると、いつくらいに休もうとかついつい考えてしまいますが、それ自体が自分の思い込み(制御されている感覚)なのだろうと、休まないと動けないという刷り込みだと認識しているのですが、こうやってゆっくり眠れた朝を迎えると、そもそも自分は寝るのが、休むのが本当に好きなんだなと思ってしまいます。笑

ゆっくり眠れた朝、最高です。
おなじ景色を見ても感じ方は全然違います。

さて、今朝はゆったり時間があるので、竹岡農園がそんなに有名な農園でもないのに年々増えているインターン生について、また視察受け入れをしていて思うことについて書いてみようかと思います。

もともと、竹岡農園は笛路村という15軒の小さな集落で棚田を守る農家として発足しました。
自分が居心地よく暮らせている土地を後世にも残していくため、自分にできることをやろうというところから、農業、そしてそれに関連した仕事をしています。

2010年に移住して、竹岡農園設立から11年経ち、個人では受けきれないほどの耕作面積となった竹岡農園ですが、毎年新たな仲間が増えている。
勘違いしないで頂きたいのは、全員雇っているわけではないです。
そのうち1/3は研修やインターンとして、農作業に入ってくれたり、農園に出入りして僕の近くで何かを学んでいます。

村の方や、農園に出入りするお客様など、新しい面子が増える度、いつも「どこから連れてくるのか」「向こうからやってくるのか?」など興味津々で聞かれるのですが、僕の方から積極的に研修やインターンを受け入れているという話をすることはほぼありません。
つまり、研修生たちは何かのきっかけで竹岡農園を知り、自分から申し込んでやってきている目的意識の高い方たちと言えると思います。

彼らとは、まず一人一人農園入りした日に面談をしっかり行います。
そこで、1週間なら1週間、1か月なら1か月、1年なら1年の目的・目標を決めていただき、それに対して、農園として何がさせてもらえるかを提示する。
いたって普通の当たり前のことですが、どんなに時間がなくてもこれだけは書面に残し、研修生にも判子を押してもらってどこへ向かうかの認識を可視化した状態で進めるという流れです。

目的は色々です。
身体を元気にしたい、農業を学びたい、農園の他の活動に興味があるなど。
もちろん本当にやりたい方はすぐにでも行動したらいいのだけど、自分が実行するにはまだ何か不安だったり、一度実行して失敗して整理したいというものもあります。

具体的には、例えば今いる中山は、自分で村づくりをしたいと思って竹岡農園に行きついたと言っています。農をベースに多様な人が集まる場所を村と定義しているようで、自分にはコミュニケーション能力が足らないと日々年齢の違う人たちと積極的に会話しています。
この1か月来ている梶に関しては、多機能な農園をどう運営しているのか、その本質に触れたいということで研修に来たようです。

研修に入ると、スキルはほぼ教えません。
農業でいうところのスキルとは、栽培技術のことを指すとして、
自分が知っている栽培方法やアプローチの仕方などその場で聞かれた質問や作業をする上でどうしても伝えなきゃいけないことはもちろんお伝えするのですが、こちらから授業のようにしてお伝えすることはほぼ皆無です。
今年3月で卒業した見習いの里佳子でさえスキル的なことは面と向かってまともに伝えることは3年間なかったんではないかと思います。
だけど、卒業して今でも自分の畑で野菜をまともに育てています。良い野菜を育てるので、たまに仕入れたりもします。

スキルについては、スキルが上がらなければ単純に野菜の売上が落ちると考えています。
だから、非常に可視化しやすいものですね。
つまり、農業で一定以上売上が伸びている、また一定のお客様がついているという状況は、毎年農業に関わるスキルを大なり小なり上げていないとついてこない結果です。
結果が出せないと事業は継続できません。要は、どんな仕事であれ続いている限りスキルは上がり続けるんじゃないかと。
農園でも、見習いや研修生が入ることで栽培者がころころ変わりますが、皆一生懸命野菜と向き合って毎日長時間畑へ出ています。
なので、モチベーションにもよりますが、畑さえ与えれば失敗しながら勝手にスキルを上げていってくれます。
だから、こちらから教えることなど要らないし、そもそも自分が育てたい良い野菜の定義が10人居れば10人とも違うので、出したい結果によって必要なスキルも変わってくるから自分でスキルをつけていくしかないのです。

では、研修生は農園でスキルを教わらず、何を研修するのか。
かっこいい言い方しか出来ませんが(笑)、いわゆるセンス(感性、感覚、非言語の世界観)です。
服など外面的なセンスを一切磨かない自分が言うと非常に恥ずかしいワードですが、これしか言い方ないので堪えてくださいね。

1日中畑作業をして、思いっきり太陽にあたり笛路の空気を吸って、笛路の水をたっぷり飲んで、へとへとになって帰って来て入る熱い風呂での充足感、風呂を上がった後に食べる晩御飯の美味しいこと。それをみんなで囲んで食べる楽しさ。
こんなのは、農業研修しないと感じられない空気感であり、いくら説明しても体験しないと分からない状態です。
こういう経験をすると、例えば農業体験に価値を感じたり、田舎で何も価値を持ってないと思われているものに価値をつけられたりします。
頭で知っているだけでは具現化できないことでも、五感を使って実感を伴うとすぐに行動できたりするのです。

スキルをいくら持っていても、長期的に仕事を継続していこうと思うとセンスが必要です。
まさに今、視察や研修で農園を身に来られている方の多くはこれだけの多機能な農園がどう具現化され、どのように運営されているのか、その本質を感じるために現地に足を運ばれているのではないでしょうか。
そうした意味でこちらが教えるということを極力排除して、研修生や見習いが何を感じるかにより重点をおいてここに居る人、ここにあるものに触れて研修生自身がセンスを磨いているのです。
センスを別の言い方にすると、生きる力かもしれません。

スキルというのは学んだり、教えられる体系化されたもの、言語化できるものという意味で、逆に言えば勉強すれば誰でもある程度身に着けられるものということです。
ある一定の正解があり、間違いが存在することです。
デジタル化が進み、スキルや言葉で説明できることはSNSなどインターネットを通じてどこでも取りに行けば有力な情報を手に入れられるようになりました。
自分も経営の勉強をしようと思ってyoutubeをよく見ています。youtubeにあがってる情報がどうこうという話では無くて、自分の経験値があれば無料の情報からでも有力なスキルは身に着けられるのです。

だけど、センスは違います。
ロジカルで短期間で簡単に身に着けられるものをスキルと言うなら、長い年月をかけて感覚的に磨くものをセンスとします。
宮大工に聞いた話ですが、昔は2年間親方に付きっ切りで仕事を覚え最後の1年は丁稚奉公をするのだと言っていました。仕事のスキルだけを覚えるならそんな長期間つかなくても、出来るようになるのです。
だけど、その仕事の心、本質を学んで長期間続けられる仕事にしていくにはそれだけの時間が必要なのです。
仕事をしているときも、仕事をしていないときにも親方の傍にいて、同じ空気を吸っていることで、休憩時間に考えていること、人と出会って切り替わるスイッチ、たわいない話の中で親方がどんな人間性なのかを深く知ることができます。
その時代において仕事として成立している人の呼吸や、見る視点、どこに感情が動くか、何を決断するかと言った総合的なセンスに触れて、自分のものとしていく。それが軸なのかもしれません。
その軸を持ったうえで、独立することで、だんだんと個性が出てきて新たな技法やマインドが育っていくのだと思います。

自分の場合は、それが大阪の四条畷で活動していた在宅障がい者M氏でした。
当時障がい者問題に興味はありませんでしたが、縁があって在宅介護をしていたので6年間ずっとMさんの背中を見せてもらったことで、人のコミュニティをどう形成するのか、どう力を抜くのか、どこで力を入れるのか、我慢をするのはどういう時か、攻めるのはどのタイミングか、自分をどう捉えるか、課題との距離感など言語化できない膨大な情報を6年間背中で見させてもらいました。
おそらく、その経験が無ければ丹波で独立してやっていけなかったと思います。
今の自分があるのは、森さんの介護に入っていたからです。

一度、師匠なり先輩に付いて、がっつり本質に触れる経験を持っていると、それ以降その場にある本質を理解するのが早くなります。
センスの重要性を肌感で知っているだけでも、何かを見た時表面的なことに注目するのか、その内側、裏側にあるものを創造するのか、まったく見るものが違います。

スキルはいつからでも身に着けられる。だけど、センスはその時その時にしか磨けないのです。
目の前で起こっていることの普遍性や、本質に触れる経験をしてほしい、そういう思いで研修や見習いを受け入れています。

今の研修生たちが自分たちで事業計画を立てはじめました。
ここで見れる、感じることを消化して、自分の道を見つけてほしいですね。

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