ここに来た第二の理由。
それは、教育のことを考えていたら村づくりにたどり着いたからです。
は?村づくり?と思われるかもしれませんが、もう少し話を聞いてください。
きっかけは一人の女の子との出会いでした。
その女の子はとても聡明なまっすぐな瞳をしていて、初めて会ったときからこの子は只物じゃないという予感がしていました。
しかし、私に与えられた役割は知的に遅れがあると診断されたこの子に小学校入学の準備をさせること。
例えば、席にじっと座ること、挨拶をすること、丸い円を書けるようになること。
だけど、私の目の前にいるこの子を見ていると、そんなことはちっぽけなことに思えてきました。
そんなことができなくても、この子はその瞳でいろんなことを感じているし、その頭で深く考えている。
そんな風に私には思えたからです。
そしてその予感が証明されるように、日がたつごとにその子から体のこわばりが消え、のびのびとした動作が増えるとともに自分から話もしてくれるようになりました。
私には、そのことが本当に嬉しかった。
きっとこの子には、十分に話せないだけで表現したいことが山のようにあるのだろうと思いました。
そして、わたしにできることはそのお手伝いだというように思うようになったのです。
そんなとき、私は塾の先生もしていました。
国語と社会を教えていましたが、心のどこかで自分のしていることは薄っぺらいという感覚を持っていました。
社会に出たこともない、恋愛したこともない、勉強ばかりしていた私に、一体何を伝えることができるのだろう。
一体何を届けることができるのだろう。
学校教育は置いといて、人が生きていくなかで本当に必要なことはなんなんだろうという問いは、その子たちと過ごす時間が長ければ長くなるほど大きくなっていきました。
そして、ある日ついに私はこの子たちに何も教えたくない。
というか、教えられることもない。
教えられるとしたら、等身大の私が経験したことしかないと思いました。
だって、結局のところ私がしたいのは「この本面白いね」とか「空ってなんで青いんだろうね」とかそういう何でもないことをただ言い合えることだと思ったからです。
この世に一緒にいることをただしみじみと喜べることだと思ったからです。
そう思ったときに、旅に出ようと思いました。